漫画「犬になったら好きな人に拾われた」の感想記事です。
もくじ
戦慄のフェチズム方程式
フェチズムとは生きる活力。
あまねく人のモチベーション、人生の意味というべきものではないでしょうか。
特に身体美やそれにまつわるもの。
剛健な筋肉美であったり、繊細な曲線美であったり。
小説家の安部公房は自身の芥川賞受賞作『壁』の中で、
しかし、何よりたのしいのは、ベンチの前をさすらう女たちの脚を見ることです。女たちの脚は、戦慄の曲線です。彼女が立去ってしまうと、後に戦慄の方程式が残ります。ぼくはベンチの背に全身の重みをかけて、その方程式をとくことに没頭します。その方程式からさまざまな空想とプランが生まれます。
安倍公房著『壁 第二部バベルの塔の狸』より
と、述べている。
やはり「足」、「脚」。
同じく作家の谷崎潤一郎は、女性の「足」への執着、著作中のその描写の多さは有名ですし、映画監督のクエンティン.・タランティーノもまた、作品に「足フェチ」を想起させるシーンが多いのは有名。
やはり「脚」の曲線美、なかんずく「足」という普段隠れている部分のチラリズムは、人の心をとらえて離さない何かがあるように思います。
それに関して私もおおいに共感するものであります。
「部分」へのこだわり、美意識、愛着、執着。それはまさに情動であり本能エネルギーの方程式。
それを文章や絵画、映像で表現する事は衝動の実体化、生命の具現化に他ならず、まさに芸術と呼ぶにふさわしいニンゲン性の発露と言っても良いのではないでしょうか。
そんなマンガ作品を最近読みました。
『犬になったら好きな人に拾われた。』
です。
犬になろう系
ちょっとHなVR風ラブコメ目覚めたら、思いを寄せるクラスメイト“犬飼さん”の飼い犬“ポチ太”になっていた!
学校では超クールな彼女だが、実は度を越した犬好きだった。
お散歩、トイレ、お風呂――犬として飼育される日々はハプニングの連続。
早く人間に戻りたいけど、好きな人に徹底的に愛される暮らしは幸せで……
このままでは、身も心も犬になってしまう!?“犬目線ローアングル”でおくる新感覚ラブコメディ!
アニメ版公式ホームページより
ちょっと「えちえち」なラブコメディ…
この冬からテレビアニメとして放映されると知って、原作を読んでみたのですが…。
ちょっとエッチというか、とにかく一歩踏み間違えば地獄の底へ真っ逆さまとでも言うような、オンザエッジ的なギリギリ表現のオンパレード。
出てくるキャラクターの「アンタらみんな頭おかしいだろ!」とツッコミたくなる行動等、直接的な表現を避けつつよくここまで情念、情動、衝動の方程式を残せるものだと、制作陣の努力には限りないリスペクトを感じたのであります。
ちょっと「えちえち」なラブコメというのは現在でも、これまでも数多の名作・佳作がありますが…、この作品のスゴイところは、「えちえち」そのものにテーマが踏み込んでいる点。
その内実は「フェチズム」そして「ダイバーシティ」。
これが中心テーマになっている。
今まで、「タイツ」「OLさん」「バニーガール」「お尻」等々…、そういったフェチズムの趣味の方々に向けて特化したフィクション作品や画集といったものはありましたが、そういう「戦慄の方程式」に焦点をあてている要素と、少年マンガラブコメとしての、よりポピュラーな「主人公とヒロインの恋の成就」といったストーリーにフォーカスする要素とが融合している。
こういうラブコメはいままで無かったのではないでしょうか。
そして、その表現を高度に完成させているのが作者古川五勢さんのすばらしい作画。
この作品を支えているフェチズムの情動、衝動というものを表現する古川五勢さんの、限りなく流麗でうつくしい、スゴイ作画というものをデッサン的な視点から、感想をご紹介したいと思います。
足フェチズムとデッサンで辿る『犬になったら好きな人に拾われた。』ギャラリー
デッサン・パースについて
平凡な男子高校生であった主人公が突然犬になり、「ポチ太」として犬飼加恋さんに拾われるシーン。
作中の場面はほとんど主人公の「ポチ太」の視点で表現されるため、大半のシーンは一人称視点かつローアングル。これが様々なちょいえちえちな効果をもたらしているのですが、このシーンはあえて上からのアングル。
一般に上からのアングルは不安などを表現し、顔がアップになるので可愛さを強調するのに適したアングルとも言われますが…、そういう意味ではセオリー通りの演出。
しかし、視点は犬飼さんにかなり近く、パースはキツい。すべて視線が犬飼さんの顔に集中するような構図ですし、ヘタを打てない、描くのには相当神経を使う困難さがあるように思います。
ローアングルの美点が存分に表れている場面。犬飼さんはスパッツをはいています。念の為。
足を怪我したので、舐めてケアしてほしいとポチ太に言う犬飼さん。
犬飼さんと散歩に行くポチ太。
ポチ太目線で犬飼さんのブーツ辺りからのアングル。パースはかなりキツめですが、スカートの中は見えない。
見えない筈はないですが、見えない。
デッサン的に少々無理があるのではなかろうかとも思えるのですが、そうは見えず、流れるような自然さがある。
ただ、パースから言うと奥のモブキャラちゃん二人はもう少し遠くに居て、小さく描いた方が良かったのではないかという気もします。
これも、足・脚を全面に魅せるアングルをとりつつ、スカートの中は見せない。キャラの顔もしっかり見えなくてはならないし、そもそも描くのが難しいポーズ。
そういう意味でよーく見ると、デッサン的に上半身と下半身のつきかたにやや不自然さがあるようにも見えるのですが、でも、そんな事ぁどうでも良い気もしてきます。
またまたここも、見えない筈はないが見えない。
しかも視点は脚のすぐそばからで、極端なパースがついているため、体のパーツの大きさのバランスはふつうに見ている場合とは全く違う(脛の部分が極端に太く、本来太いふとももが細くなる)。
デッサン的にも描くのは難しいし、自然なバランスをとるのも難しい。にもかかわらず足の女性的なぽっちゃり感も表現されているのはスゴイ。
あたまおかしい、描写について
犬飼さんのスマホを操作するために、手の自由を奪おうと犬飼さんの指をペロペロするシーン。
自分の手を見て分かりましたが、指を「くぱ」と開けば、普通は縦方向のシワなど現れない。
『ようやるわ』と感心する事しか出来ません。
恐らく、今作中最も頭がおかしいキャラ、主人公の後輩 月城うさぎ。
少年マンガのラブコメで、小悪魔というよりはこんな痴〇・〇乱なキャラ見た事ありません。
学園祭の出し物「犬カフェ」集客テコ入れ策として、『犬湯』を提案する犬飼さん。
フェチズム・こだわりテーマの描写について
犬飼さんと勉強するために家に来た猫谷ミケ。犬飼さん宅に来た時はニーソックスを履いていましたが、部屋に入った途端に脱いでいる。
自分の家ならともかく、他人の家で普通脱がないと思いますが、脱ぐのが『犬になったら好きな人に拾われた』のテーマなのですね。
『犬になったら~』を象徴するような…、
「足」さえあればそれでいい、とでも言うかのような魂のシーン。
アキレス腱を目立たないながらもしっかり描写しているところにこだわりを感じます。
ちなみに、下方の黒い物体はポチ太の鼻、足ではさんでいるのは犬用骨型ガムです。念のため。
「おなかを撫でて」と言っているだけで、別にタイツを脱ぐ必然性はないような気もしますが…、でも脱ぐ。脱ぐのが『犬になったら好きな人に拾われた』のテーマなのです。
制服、プラス生足。
フォーマルな服装と対極的なカジュアルな足元。このミスマッチが、フェチ心をくすぐるものがあります…。
さらに正座からの足裏というのも非常にフェチ度が高いですよね。
ぽっちゃり・戦慄の曲線描写について
全体的に女性の体型はかなりぽっちゃり型に描写されています。
もうちょっとだけ足首は細く、かかとも小さめに描いた方がメリハリがあって良いのではないかという気もしますが、しかし最適な比率のバランスをとるのはかなり難しいだろうなぁとも思います。
そもそもティーンのお年頃の女性の脚というのは余りくびれは無いもの。
この描写はこれで正しいのだと私は支持するものであります。
女性の持つ身体的肉体美、丸みというものがダイレクトに伝わってくる、「戦慄の曲線」とはまさにこの事。
さらに着ている服装は制服。
これもまた、さまざまな空想やプランを喚起するスゴい作画です。
…と、ここまで紹介させていただいたシーンは全体のほんの一部であります。
極力、えっちではないシーンを引用したのですが…巻を追う毎に内容は過激になっているので、ここでは載せられないシーンも多いです。
「フェチズム」=「多様性」というテーマは第六巻で明確に示され、ストーリーはここで一段落して現在は新展開がはじまっている第七巻。
「脚」「足」という要素よりも、現段階ではよりフェチズムというテーマに深化した異次元のラブコメになりつつあります。
「人と違って良いじゃないか!」というメッセージが込められた作品でもあります。
犬飼さんたちヒロインの美しさ可愛さを愛でつつ、生きる勇気も得られる……かどうかはわかりませんが、肉体美へのこだわりをこの作品で再認識するのも良いのではないでしょうか。
描き下ろし漫画付き特装版について
巻末に特別書き下ろし話が収録された電子書籍限定版が発売されておりますが…、確かに、そのものズバリ描写されております。
「特装版」というふれこみにはウソ偽りは無いと言えます。