子供の頃はヤマトシリーズの大ファンで、ヤマトやアンドロメダのデザインのカッコ良さ、艦隊戦の血湧き肉躍る面白さというものにどっぱまりしておりました。
ただ、劇場版の「ヤマトよ永遠に」とか「完結編」は劇場で見ていたのですが、初代の劇場版によるヤマトブームが起こったのは私がまだ幼稚園児ぐらいのころ。アニメを映画館まで見に行くという発想もなかったので、「宇宙戦艦ヤマト 劇場版」、「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」は劇場では見ていない。
今回、その二作が4Kリマスター化されて劇場公開されると聞き、日本初のアニメブームとなったあの当時の雰囲気をちょっとでも追体験出来ればと、両作とも都内映画館で鑑賞しました。
「宇宙戦艦ヤマト 劇場版」
私は劇場版を見たのは初めてだと思うのですが、まぁ、ホントに、テレビシリーズを編集しただけの実にシンプルな内容というのは良くわかりました。
新作カット等もナシ、動画を省略してカクカクの動きになってしまっているような場面も修正ナシ。最後のデスラーの悪あがきもカットされていて、ややストーリーは平板になっている。あくまでもファンのために作られた再編集版映画という感じなので、まるっきりテレビ版を見ずに初見でこの劇場版を見るとちょっと入り込みづらいかも。
しかし、ヤマトの魅力は再認識出来ました。
SFとしてのこだわり・マニアックさ、艦隊戦の迫力、いっつもボコボコにやられるヤマトのハラハラドキドキ、「宇宙の愛」…。ブームの所以と、その後のアニメへの影響に思いを致し、子供の頃の思い出にも浸れました。
それと改めて、ドメル将軍によるドリルミサイルはエロすぎる、と思いました。
「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」
「さらヤマ」は、私は制作の経緯を忘れてしまっていたのですが、ブームを受けて完全オリジナル作品として1978年に「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が公開。その2か月後に映画のストーリーをもとに制作されたテレビ版「宇宙戦艦ヤマト2」が放送開始。
何となくテレビが先、というイメージをついつい私は持ってしまうのですが、まあ、テレビが先だったら映画版とのラストの違いが起こるわけがないですよね。
ラスト相違の経緯は諸説あるみたいですが、昔は、大ブームになったヤマトビジネス存続のためにラストを改変したという見方が一般的だったような記憶もあります。
ただ、作中デスラーはキャラクター性が一挙に厚みを増して、まだまだ活躍が見たいとも思いますし、古代との結婚生活という幸せをご破算にされた森雪はあまりにも不憫。
このままシリーズを終わらせるのは勿体ない、と私も思います。
ただし、この後「宇宙戦艦ヤマト 完結編」において、初代ヤマトシリーズでの沖田艦長死去は佐渡先生の誤診で、「実はまだ沖田艦長は生きていた!」として平然とヤマトの艦長に復帰するという、ブームが行きつくところまで行ってしまった惨状を見て『これで良いのか』とは後に思いましたが。
作品としては、前作劇場版に比べれば完全オリジナルで作られているだけあって、作画も良いしストーリーに破綻も無いし、制作陣の意気というものを感じました。
特に映像は、4Kリマスターの恩恵を強烈に感じました。
セル画の質感が感じられる精密さ。セル画の汚れや、塗りミス、主線がかすれて消えているところもハッキリわかる。本来そういう所がわかってはいけないのかも知れませんが。
昔レンタルビデオか何かで見て以来、おそらく十年か数十年ぶりかで見たと思うのですが、いろいろと見る価値はありました。
ラストの特攻を思わせる展開は評価が難しいところかも知れませんが、当然というかなんというか政治的なニオイは無いし、これもまた古代が言う『愛』のひとつの形と言えなくもない。
昭和の四十年、五十年代は、今から考えると社会に戦前的な考え方とか発想とかがまだまだ残っていたなぁ…とも思い出しました。
時代に対応できずに沈んでいった、大艦巨砲主義、敗戦、負の歴史の象徴ともいえる「大和」が「ヤマト」となり人類の危機を救う。しかし、地球が復興したあとはその存在も忘れ去られようとしている。人類滅亡の危機、の話でありながら作中日本人以外のキャラクターは出て来ないし、日本という国以外の存在は雰囲気すら感じられない。
改めて見てみると、戦中から続く昭和社会の微妙な雰囲気というか、昭和という時代の空気を映している作品だったのだなぁ、とも感じました。
「宇宙戦艦ヤマト 劇場版」公開中、都内の新宿ピカデリーでは設定画やセル画、原画の展示がありました。
「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」公開中は展示はやってないみたい(「ガンダムSEED」の展示をやってました)。残念。