注意:若干ネタバレあります
藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿 に収録されている「アチタが見える」の感想。
12「アチタが見える」の感想
ビッグコミック1972年8月25日号掲載作品。
我が子に巻き起こる異変。それによって振り回される大人達、というストーリーは「我が子スーパーマン」にちょっと似ているかも。
ただ、こちらはより恐怖漫画っぽい内容で、人の存在が脅かされる恐怖がダイレクト、シンプルに伝わってくる佳作なのではないか、と思います。
「アチタが見える」あらすじ
主人公は既婚、小さい娘が1人いる中年サラリーマン。
一人娘のチコちゃんは、ある変わった能力を持っていました。
それは未来に起きることが見える。すなわち『予知能力』。
それは本物のエスパーとしての能力なのか、それともただの偶然なのか、それはわからない。しかし、同僚の五十嵐さんは興味津々。
…で、大盛り上がりなのですが、チコちゃんの能力は容赦なく五十嵐さんにも襲いかかる。
チコちゃんは五十嵐さんが事故に遭うイメージを見てしまう。
皆んな「そんな馬鹿な」「そんなこと起こるはずが無い」と、気にしないようにつつも、五十嵐さんは家から一歩も出られなくなってしまう。
そこへ五十嵐さんから紹介を受けた新聞記者が現れ、取材のためチコちゃんにインタビューを行う。
田中角栄の内閣はいつまで持つか?etc.etc.……。
しかし、無垢で世間の事を知らないチコちゃんには何の事かわからない。
分かることは身近な事だけ。それならば、チコちゃんのパパとママがこれからどうなるかのイメージは見えるかい?という問いに対し…。
記者は血相を変えて帰ってしまう。
そこへ、追い討ちをかけるかのように五十嵐さんが事故に遭ったというニュースが…。
五十嵐さんの運命は決まっていたのか、それともチコちゃんの予言によって破滅に向かってしまったのか。
煩悶する二人にトドメとばかりに、チコちゃんはパパとママの未来のイメージを絵に描いて二人に見せる。
その絵に描いてあったものは果たして何か…、というお話。
「運命」について考える
作中は予知能力に関するウンチクの描写が多い。内容的には超能力がテーマで、自分自身の運命を知らされる恐怖というホラー要素、この辺りがこの作品の面白いところかと思いますが、『運命』という要素に限って色々な解釈をしてみると、また違う面白さがあるように思います。
解釈の一つとして、『運命』とは決定論なのか、それとも違うのか。
古典物理学や哲学の世界には「決定論」という考え方がある。
決定論(けっていろん、英: determinism、羅: determinare)とは、あらゆる出来事は、その出来事に先行する出来事のみによって決定している、とする哲学的な立場。
Wikipediaより
対立する世界観や仮説は「非決定論」と呼ばれる。
もしくは、「ラプラスの悪魔」とも呼ばれるもの。
ラプラスの悪魔(ラプラスのあくま、英: Laplace’s demon)とは、主に近世・近代の物理学分野で、因果律に基づいて未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念。「ある時点において作用している全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つがゆえに、未来を含む宇宙の全運動までも確定的に知りえる」という超人間的知性のこと。フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された。ラプラスの魔物あるいはラプラスの魔とも呼ばれる。
Wikipediaより
この考え方を極端に解釈すると、この世に人間の意志は存在しない、ということになる。
つまり五十嵐さんが事故に遭う未来は決定しているのであって、いかに事故を防ぐ行動を取っても無意味。チコちゃんの予言も、五十嵐さんの破滅の運命が進む中で必然的に現れた現象に過ぎない。
人はさまよえる葦として、運命を甘んじて受け入れるしかない。自分の力で生きる事は出来ない。
もうひとつ、今度は逆にチコちゃんが五十嵐さんの運命を決めてしまったとすると…。
チコちゃんは、まさに「全ての力学的・物理的な状態を完全に把握・解析する能力を持つ」、宇宙を網羅する法則の体現者。「ラプラスの悪魔」の知性そのもの。
この能力があれば運命を変えることも出来るかもしれない。宇宙の法則の中で生きている限り、私たちもチコちゃんのようになる可能性もある。
それならば、「人は運命を変えることが出来る!」と、自らの可能性を信じたいところではあります。
作中出てくる新聞記者も、センセーショナルな話題になるかも、という記者としての嗅覚と同時に、そういう興味もあったのではないでしょうか。
しかし現実は、チコちゃんは無垢で無邪気な運命でしかなく、我々人間はそれに翻弄されるのみ、であろうかと思いますが。
ラストのコマは、その不条理さを余す所なく表現しているようにも見える。
明日ではなく「アチタ」。
善も悪も無く平等に、やって来るのはただ、何の意図も差別も理由も無い「アチタ」なのでしょうか。
この恐怖、というものが読む者に迫って来る。
こうしてみると、1970年SFマガジンに掲載された「ドジ田ドジ郎の幸運」に出てくるゴンスケが言っているように、この世の全ては偶然、たまたま。不幸があろうがイイ事があろうがそれは全て『たまたま』そうなっただけ。そう捉えるほうがあれこれ悩まなくて済む、という気もしてくる。
「ラプラスの悪魔」とは対極的な量子論(確率論)の考え方ですが、これもまた、この世の現象に人間の意志は介在しない、人間の意思ではどうにもならない、という事では同じなのですが。
引用画像はすべて「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>」より
「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿」について
藤子・F・不二雄のSF短編112話を全8巻に完全収録した“PERFECT版”が登場! 鋭い風刺精神を存分に発揮した「藤子美学の世界」にどっぷり浸かれる作品集!
Amazon.co.jp商品説明より
藤子・F・不二雄氏による短編の総集編。第一巻は1968年の「少女コミック」9月号に掲載された『スーパーさん』から1973年「ビッグコミック」4月10日号に掲載された『イヤなイヤなイヤな奴』までを年代順に収録。
巻末には藤子・F・不二雄氏の長女である藤本匡美さんによるエッセイ「こっそり愛読した父の作品」が掲載されています。
タイトル | 雑誌名 | 年月号 |
---|---|---|
スーパーさん | 少女コミック | 1968年9月号 |
ミノタウロスの皿 | ビッグコミック | 1969年10月10日号 |
ぼくの口ボット | 子供の光 | 1970年1月号 |
カイケツ小池さん | ビッグコミック | 1970年4月25日号 |
ボノム=底ぬけさん= | ビッグコミック | 1970年10月10日号 |
ドジ田ドジ郎の幸運 | SFマガジン | 1970年11月 増刊号 |
じじぬき | ビッグコミック | 1970年12月25日号 |
ヒョンヒョロ | SFマガジン | 1971年10月 増刊号 |
自分会議 | SFマガジン | 1972年2月号 |
わが子・スーパーマン | ビッグコミック | 1972年3月10日号 |
気楽に殺ろうよ | ビッグコミック | 1972年5月10日号 |
アチタが見える | ビッグコミック | 1972年8月25日号 |
換身 | SFマガジン | 1972年9月 増刊号 |
劇画・オバQ | ビッグコミック | 1973年2月25日号 |
イヤなイヤなイヤな奴 | ビッグコミック | 1973年4月10日号 |