藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿 に収録されている「ミノタウロスの皿」の感想です。
2「ミノタウロスの皿」の感想
1969年、ビッグコミック10月10日号に掲載された作品。
既成の常識で、疑問に思う事も無い人類と家畜の関係を逆転する事で起こる主人公の葛藤を風刺やユーモアをこめて描かれる、とある地球型惑星に遭難した宇宙飛行士に起こった悲劇・喜劇?の物語。
内容的にはこの作品掲載の前年に公開されたアメリカ映画『猿の惑星』の影響もあるのではないかと思いますが、『猿の惑星』に出てくる人類は言葉が喋れないし、「人類と猿との衝突」という潜在的なテーマは当時の米ソ東西冷戦を想わせて、映画らしい俯瞰的な捉え方、とも言える。
対して『ミノタウロスの皿』はそういう視点は持たず、あくまでも価値観の逆転といったシチュエーションからテーマに迫ろうとしている。
とはいえ、シナリオや画面の見せ方、華々しさはすごく映画的。完成度の高さはこの巻に収録されている他の作品からは頭一つ抜きん出ている感があります。
まさにF作品とは何なのかを宣言するかのような、魅力が凝縮された記念碑的な作品と言っていいのではないかと思います。
相手の立場で物を考える能力
印象に残ったのは下記の台詞。食肉用の家畜として死ぬ運命にあるミノアを救おうと、あちこちの有力者に掛け合って「こんな残虐な風習はやめるべきだ!」説得を試みるも全く話が嚙み合わず、途方に暮れながら主人公が嘆いたモノローグ。
しかし、相手の立場で物を考えていないのは主人公も同様で、それは我々読者もそうかもしれない。
もし、地球に牛の姿かたちをした異星人が現れ、『牛を食肉として食べるなどとんでもない!』と言ってその残虐性を説いて回ったとしても、おそらく我々のリアクションはこの作品に描かれているウシ星人(?) のものとそうは変わらない気もします。
ミノアを愛しているという感情を、通り一遍の常識的な理想論でしか語れない主人公。
自分たちが生き残るために、他の生き物を犠牲にする事は免罪されるのかというタブーを深く考えようとはしないウシ星人(?)。
死への恐怖という感情を自覚しながらも、その正体の理解に踏み込もうとはしないミノア。
三者三様、慣習にとらわれ思考停止、皆自分の事しか考えていない。
この三者がわかりあうにはどうすれば良かったのか。パズルを解くようにそれを考えるのもこの作品の大きな魅力のひとつだと思います。
引用画像はすべて「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)」より
「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿」について
藤子・F・不二雄のSF短編112話を全8巻に完全収録した“PERFECT版”が登場! 鋭い風刺精神を存分に発揮した「藤子美学の世界」にどっぷり浸かれる作品集!
Amazon.co.jp商品説明より
藤子・F・不二雄氏による短編の総集編。第一巻は1968年の「少女コミック」9月号に掲載された『スーパーさん』から1973年「ビッグコミック」4月10日号に掲載された『イヤなイヤなイヤな奴』までを年代順に収録。
巻末には藤子・F・不二雄氏の長女である藤本匡美さんによるエッセイ「こっそり愛読した父の作品」が掲載されています。
タイトル | 雑誌名 | 年月号 |
---|---|---|
スーパーさん | 少女コミック | 1968年9月号 |
ミノタウロスの皿 | ビッグコミック | 1969年10月10日号 |
ぼくの口ボット | 子供の光 | 1970年1月号 |
カイケツ小池さん | ビッグコミック | 1970年4月25日号 |
ボノム=底ぬけさん= | ビッグコミック | 1970年10月10日号 |
ドジ田ドジ郎の幸運 | SFマガジン | 1970年11月 増刊号 |
じじぬき | ビッグコミック | 1970年12月25日号 |
ヒョンヒョロ | SFマガジン | 1971年10月 増刊号 |
自分会議 | SFマガジン | 1972年2月号 |
わが子・スーパーマン | ビッグコミック | 1972年3月10日号 |
気楽に殺ろうよ | ビッグコミック | 1972年5月10日号 |
アチタが見える | ビッグコミック | 1972年8月25日号 |
換身 | SFマガジン | 1972年9月 増刊号 |
劇画・オバQ | ビッグコミック | 1973年2月25日号 |
イヤなイヤなイヤな奴 | ビッグコミック | 1973年4月10日号 |
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