タグアーカイブ: 藤子・F・不二雄

明日ではなく「アチタ」。善も悪も無く平等に、やって来るのはただ、何の意図も差別も理由も無い「アチタ」なのか…?という、人の存在が脅かされる恐怖がダイレクト、シンプルに伝わってくる佳作だと思いました。

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かなりストレートに「藤子・F・不二雄作品らしさ」というか、藤子F作品特有のモチーフが前面に出ていてある意味、初期藤子SF作品のターニングポイント的作品なのではなかろうか、と思いました。この作品以後は漫画らしい設定とかアクションなど、娯楽の奥行きが深くなる作品が主流になっていく印象があります。

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「スーパーさん」「カイケツ小池さん」に続くスーパーマンものの三作目。「わが子・スーパーマン」は、前二作のテーマが合わさり、より発展して「力」を持つという社会的な意味が人類という種族のレベルまで拡げられ、よりゾッとする作品になっているのではなかろうかと思います。

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過去の歴史を改変する、タイムパラドックス系の作品と言えるかと思いますが、「じじぬき」に似た『人生をやりなおせたら』という系統の作品でもある。でも、内容は寓話的でブラック。星新一さんのショートショートに近い雰囲気もあり…、様々な要素が詰まった作品だと思います。他に、よく似た作品である「ドラえもんだらけ」も紹介。

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SFマガジン1971年掲載作品。この「ヒョンヒョロ」は価値観の転倒・ラストのどんでん返し・セカイ系といった純粋SF要素がありつつも、F作品らしいナンセンスさもストーリーに加わり、フィクションとしての完成度はさらにアップしているのではないでしょうか。

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実の息子、義理の娘、時代、あらゆる物との確執に生きる頑固者ガンさんが、死後に見せる真実とは。藤子F短編作品には、高齢化社会や老い・滅びを主題とした作品も多いですが、これは初めてそのテーマが登場したプレリュード的作品ではないでしょうか。 私にとってはかなり社会的なテーマを感じさせられる作品でした。

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類い稀なアンラッキーの持ち主ドジ郎に訪れた幸運とは。オーソドックスでシンプルなSF作品にも見えますが、内容は深い。作中、「偶然」というキーワードが度々登場するのですが、そのテーマを量子論の歴史から迫ってみたいと思います。

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神の沈黙と仁吉さんの饒舌。どんなに虐げられても怒らない。ナゾのお人よしサラリーマン仁吉さん孤高の哲学。その真相を知った時、我々は刻の涙を見る——。というような、人生の中ではこんな嫌なこともあるかもなぁ…というあるある感から、「んなわけない!」と言いたくなるようなSF的テーマにつながっていく展開はさすがF作品。

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『スーパーさん』に続くスーパーマンもの作品。こちらは掲載誌がビッグコミックだけに、内容は社会性が増している印象。「正義」の実現を意識しつつも、突然超人的な力を得た人間の混乱や騒動をコミカルに描くのは『スーパーさん』と同じですが、テーマ的に違うのは「正義」というもののあやふやさ、危険さが描かれている点だと思います。

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JAグループの出版事業団体である「家の光協会」が発行する会員向けの子供雑誌「こどもの光」(現「ちゃぐりん」)1970年1月号に掲載された作品。あの農協から「ちゃぐりん」なる雑誌が発行されているという事はぜんぜん知りませんでした。この『ぼくのロボット』を読む限り、子供の情操を重視した雑誌なのだろうなぁと想像します。

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10/19