アニメ、漫画等印象的なシーンのセリフ・ことばを紹介致します
折々のせりふ 5
『窓ぎわのトットちゃん』より
このとき、トモエのみんなは、声を揃えて、叫んでいた。
「美しいは、ビューティフル!」
トモエの上を通りすぎる風は暖かく、子供たちは、美しかった。
黒柳徹子 著 講談社文庫 刊 『窓ぎわのトットちゃん 新組版』より
昭和の大ベストセラーである、タレント黒柳徹子さんの自伝的小説「窓ぎわのトットちゃん」。
今年の冬、アニメ映画として映像化されると聞き、前々から興味があった本書を読みました。
「窓ぎわのトットちゃん」
東京都目黒区自由が丘にかつて存在し、著者の黒柳が通学したトモエ学園を舞台に、黒柳自身の小学生時代についてはもちろんのこと、トモエ学園におけるユニークな教育方法(リトミック、廃車になった電車を利用した教室など)や、校長である小林宗作の人柄が描かれ、また、黒柳の級友も全員実名で登場し、その中でも初恋の相手に物理学者の山内泰二も登場する、完全なノンフィクション作品である。
Wikipediaより
読んで圧倒されたのは、トットちゃんの過ごした幸せなトモエ学園時代、それをつくり出した小林宗作氏という教育者の信念、そのお互いの信頼関係の美しさでした。
校長先生は、トットちゃんを見かけると、いつも、いった。
「君は、本当は、いい子なんだよ!」
そのたびにトットちゃんは、ニッコリして、とびはねながら答えた。
「そうです、私は、いい子です!」
そして、自分でもいい子だと思っていた。
人間の〝心″、それを信じ合い、わかり合う世界が人の手で造られ、それが戦前の日本にあったという事、そしてそれが同じく人間によって引き起こされた戦争によって完膚なきまでに崩壊した、という対比の凄まじさに圧倒されたのでした。
今回引用させていただいたのは、物語後半にあるエピソード『英語の子』より。
トモエ学園に転校してきたアメリカからの帰国子女である宮崎君。アメリカでの生活が長く、日本語や日本の風習に不慣れな宮崎君は、靴のまま畳に上がろうとしたり、床の間に腰掛けようとしたり。それを、トモエ学園のみんなは色々教えてあげるのでした。
「畳はぬぐけど、電車の教室と、図書室は、ぬがなくていい」
とか、
「九品仏のお寺の、お庭はいいけど、本堂は、ぬぐの」
とか、教えた。そして、日本人でも、ずーっと外国で生活していると、いろんなことが違うのだと、みんなにも、よくわかって、面白かった。
その代わり宮崎君はみんなに、当時の日本では滅多にお目にかかれない奇麗な印刷のアメリカの絵本を読み聞かせてくれたり、英会話を教えてくれたのでした。
どっちにしても、宮崎君は、みんなと違うものを、 トモエに、運んで来てくれた。
「赤チャンハ、ベイビィー」
宮崎君のいう通り、みんなは、声を出した。
「赤ちゃんは、ベイビィー!!」
それから、また、宮崎君はいう。
「ウツクシハ、ビューティフル」
「美しいは、ビューティフル」
偏見も差別も無く、あるのは異文化への理解、ドキドキ、ワクワク、好奇心のみ。
「みんなと違うもの」、多様で相違があるからこそ理解しあうよろこびがあるのかも知れません。
だからこそトモエ学園では…
トモエでは、いま、日本と、アメリカが親しくなり始めていた。
でも、トモエの外では、アメリカは敵国となり、英語は、敵国の言葉ということで、すべての学校の授業から、はずされた。
「アメリカ人は、鬼!」
と、政府は、発表した。このとき、トモエのみんなは、声を揃えて、叫んでいた。「美しいは、ビューティフル!」
トモエの上を通りすぎる風は暖かく、子供たちは、美しかった。
Wikipediaでは『窓ぎわのトットちゃん』はノンフィクション作品と紹介されていましたが…、どちらかというとこの作品は黒柳徹子さんの自伝的エッセイ、児童文学と言ったほうがイイかもと思います。
「英語の子」のような、トモエ学園で実際にあった出来事をいくつものエピソードでまとめられていて(全61章)、最初から最後までの一貫したストーリーは無いのでパッと見はエッセイ風の物語にも見える。
そのなかで、首尾一貫しているのは校長である小林宗作さんの子どもを信頼する信念、子供との強い信頼関係の中で、トットちゃんの感受性がどれほど素晴らしいものを受け取ったのかという事実。
だから校長先生は、トットちゃんに、機会あるごとに、
「君は、本当は、いい子なんだよ」
といった。その言葉を、もし、よく気をつけて大人が聞けば、この「本当は」に、とても大きな意味があるのに、気がついたはずだった。
(中略)でも、本当の意味は、わからなくても、トットちゃんの心の中に、「私は、いい子なんだ」という自信をつけてくれたのは、事実だった。だって、いつも、なにかをやるとき、この先生の言葉を思い出していたんだから。ただ、やったあとで、「あれ?」と思うことは、ときどき、あったんだけど。
そして、トットちゃんの一生を決定したのかも知れないくらい、大切な、この言葉を、トットちゃんが、トモエにいる間じゅう、小林先生は、いい続けてくれたのだった。「トットちゃん、君は、本当は、いい子なんだよ」って。
かつて総理大臣が「美しい国」という言葉で日本を表現しましたが、人という視点で見れば、「美しい国」とはこういう世界を言うのだろうなと思います。
そして、それは現実に存在したということが凄い事なのではないでしょうか。
対して政治の場で語られる『美しい国』が、本当に存在するモノなのかどうか私には良く分かりませんが。
「美しさ」って何なのか、それを阻むものは何か。私たちは何を戒めとしなければならないのか。それが良くわかる気がします。
引用は全て『窓ぎわのトットちゃん 新組版』 黒柳徹子 著 講談社文庫 刊 より