注意:ネタバレあります
藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿 に掲載されている「換身」の感想。
13「換身」の感想
SFマガジン1972年9月増刊号に掲載された作品。
ちょっと視点を変えてみる。
ちょっとした変化、異分子の登場で起こるハレーション。
これらの面白さをテーマにした作品が多いのが藤子不二雄作品の特徴。
藤子F短編作品の「ヒョンヒョロ」などは、その特徴がかなりハッキリ出ている作品ではないでしょうか。
この「換身」は、同じく『視点を変えてみる』というテーマでありながらもさらにさらに、藤子F作品ならではの視点の変化・価値の逆転で、よりテーマが深くなっているようにも思えます。
「換身」あらすじ
主人公は結婚を間近に控えた海野五郎氏。
婚約者の森山みどりさんとのデートの待ち合わせ中、現れる怪しげな2人組。
この2人はヤクザ。親分の命令で五郎さんをさらったのでした。
何故五郎さんの身柄が必要だったのか。
それは、怪しげな科学者魔土災炎博士の開発した人間の人格を物質化する薬を使い、親分自らが海野五郎となって暴力ざたの極道世界から足を洗い、カタギとして人生をやり直すためなのでした。
見事換身に成功した親分は、五郎となってみどりさんとのデートに向かうが、あまりにもこれまでとは違う五郎の物腰にみどりさんは戸惑ってしまう。
そこへ、暴力団の親分になった五郎が現れ、みどりさんは真実を知る。
ところが、親分の人格が変わってしまった事を知らない子分たちとのドタバタの中で、再び五郎の人格が離脱してしまい、今度はみどりさんと人格が入れ替わってしまう。
親分・五郎・みどり、全員の人格が入れ替わってしまったが、この事態を打開するには五郎に成り代わった親分を捕まえて元に戻させるしかない。
しかし親分は綿密に策を練っていたのでした。
大ピンチに陥ったみどりさんでしたが、必死の抵抗によって奇跡的に換身が起こり親分は地の底へ、みどりさんは助かったのでした。
とは言え、そこでハッピーエンドとはいかない。五郎になってしまったみどりさんと、みどりさんになってしまった五郎。二人の人格を元に戻さなければならないが…
上手くできない。
ではどうするのか。
果たして二人が選んだ結論は…。
というお話。
「おれがあいつであいつがおれで」
『ちょっと視点を変えてみる』、と同時に『もしも人生をやり直せれば』、という藤子F作品には定番的なモチーフの作品ですが、ドタバタ喜劇的なストーリーでアクションシーンがとても多い。これは今までの作品にはあまりなかった傾向ではないでしょうか。読みやすく、銃撃シーンなどもあっても、決してハードな雰囲気にはならないのはいかにも藤子F作品的。
この作品のもうひとつの魅力は、ジャンルが〝人格入れ替わりもの〟であるという点でしょうか。
代表的なアニメ作品「君の名は。」の大ヒットは2016年。そこからさらに淵源をたどると、このジャンルが大きく認知されるきっかけになったといえるのが大林宣彦監督の映画「転校生」(1982年)。
そしてその原作である山中亘さんの児童小説「おれがあいつであいつがおれで」。
一夫と一美が入れかわっちゃった!? 男女逆転ストーリーの決定版っ☆
Amazon.co.jp 「おれがあいつであいつがおれで」商品説明より
お地蔵さまの前でぶつかった日から、中身が入れかわってしまった一夫と一美。しかたなく、一夫は女子の、一美は男子の生活を始めたんだけど、これがもう大変!! しかも一美のボーイフレンドが家にくることになって!?
「おれが〜」が連載小説として初掲載されたのは学年誌「小6時代」の1979年4月号、「換身」は1972年9月増刊号のSFマガジンですから、「おれが~」を遡る事約7年まえに入れ替わりものの先駆けとして「換身」が描かれていたのはスゴイ事です。
「そんなに、男になるって、いやなことなのかなあ」
「おれがあいつであいつがおれで」より
おれは、思わず、ひとりごとをいった。とたんに、一美に切りかえされた。
「あんたは、どうなの?女になれて、うれしい?おしゃれができて、楽しい?」
おれは、ことばにつまってしまった。そして、そのあとは、だまりこくって、あるいた。
「おれが〜」はジェンダーのギャップ、他者とのギャップ、その意味を文字通り相手の立場になった上で相対化する、思春期に差しかかろうとする少年少女の成長を見事に描いた名作ですが、「換身」はそれとはちょっと違う。そういう〝成長〟とか、〝瑞々しさ〟とか、〝多様性への理解〟とか、普遍性を持ったテーマには向かわない。
「換身」にもジェネレーションギャップやジェンダーギャップなど様々なギャップが出て来ますが、それは常識・価値観に囚われるバカバカしさを笑うためのもの。
それが藤子F作品の特徴ですが、この「換身」のラストではそこからさらに、入れ替わってしまった人格・立場をそのまま受け入れてしまうという展開で終わっている。そこまでテーマが発展しているのは、本作の大変にユニークなところなのではないでしょうか。
もしも「転校生」「君の名は。」のラストが、二人とも元には戻らないラストであれば…。想像してみると、ちょっと凄いことではないか?とも思います。
常識も価値観もまた諸行無常。それどころか、自分自身のルーツやポリシーが突然に、例えばいままで嫌悪していた、敵対していたものに変わったとしても、それを受け入れてもいいんじゃない?
究極の価値観の相対化といえるものを、それが出来るとこの作品は言っている。
そこが人間の凄いところでありいい加減なところなのかもしれませんが、それはすなわち、社会に諸々の価値観の相克や分断というものがあっても、それを一歩引いて見てみればそんなイザコザがいかに阿保らしいことか。一夜にして逆転してしまうかもしれない常識や価値観を元に、他者を差別したり偏見を持ったり、正義とされるものを信じて思考停止するという光景は喜劇と云う以外にないのではないか。
どうしようもなく世界はあやふやで移ろいやすい。そこでの確かなものとは一体何なのか。
このテーマはこの後も藤子F作品の世界の中で発展して行く、その端緒になっている重要な作品だと思います。
引用画像はすべて「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>」より
「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿」について
藤子・F・不二雄のSF短編112話を全8巻に完全収録した“PERFECT版”が登場! 鋭い風刺精神を存分に発揮した「藤子美学の世界」にどっぷり浸かれる作品集!
Amazon.co.jp商品説明より
藤子・F・不二雄氏による短編の総集編。第一巻は1968年の「少女コミック」9月号に掲載された『スーパーさん』から1973年「ビッグコミック」4月10日号に掲載された『イヤなイヤなイヤな奴』までを年代順に収録。
巻末には藤子・F・不二雄氏の長女である藤本匡美さんによるエッセイ「こっそり愛読した父の作品」が掲載されています。
タイトル | 雑誌名 | 年月号 |
---|---|---|
スーパーさん | 少女コミック | 1968年9月号 |
ミノタウロスの皿 | ビッグコミック | 1969年10月10日号 |
ぼくの口ボット | 子供の光 | 1970年1月号 |
カイケツ小池さん | ビッグコミック | 1970年4月25日号 |
ボノム=底ぬけさん= | ビッグコミック | 1970年10月10日号 |
ドジ田ドジ郎の幸運 | SFマガジン | 1970年11月 増刊号 |
じじぬき | ビッグコミック | 1970年12月25日号 |
ヒョンヒョロ | SFマガジン | 1971年10月 増刊号 |
自分会議 | SFマガジン | 1972年2月号 |
わが子・スーパーマン | ビッグコミック | 1972年3月10日号 |
気楽に殺ろうよ | ビッグコミック | 1972年5月10日号 |
アチタが見える | ビッグコミック | 1972年8月25日号 |
換身 | SFマガジン | 1972年9月 増刊号 |
劇画・オバQ | ビッグコミック | 1973年2月25日号 |
イヤなイヤなイヤな奴 | ビッグコミック | 1973年4月10日号 |