【映画の雑感日記】映画『マイ・エレメント』
2023年8月4日より公開の映画『マイ・エレメント』都内劇場で鑑賞しました。
見終わって思ったのは、これまでのピクサー作品ではあまり無かったような…、ディズニー作品の「わんわん物語」とかミュージカル「ウエストサイド物語」とかを思わせるエンバーとウェイドの二人の熱ぅいラブストーリー…、である一方で、エンバーの立志伝を描く青春物語のようでもあり、物語の焦点は明確なようで不明瞭のような…。
ピクサー作品、といえばプリンセスが出てくるとか魔女が出てくるとかのディズニー的な王道ではなく、ユニークで思わず『面白そう』と思わせる“設定=テーマ”で魅せる作品群、というイメージ。
この「マイ・エレメント」もまた、四つのエレメントという設定は五つの感情を擬人化した物語「インサイド・ヘッド」を連想させるし、その四つのエレメントが暮らす街が舞台、というと様々な動物がひとつの街で暮らしていた「ズートピア」を思い起こさせる(「ズートピア」はディズニー作品ですけども)。
という事は、かつての作品同様「マイ・エレメント」も、ユニークで印象的、緻密な設定を破綻もなくガッチリ固め、完璧な世界設定の中で主役に降りかかる困難に説得力を持たせて、緊張感を維持しつつストーリーやテーマを際立たせる…。という、ピクサーらしい物語が繰り広げられるのかなぁと思っていたのですが、見てみると意外と作品世界の設定はそれほど深く掘り下げられてはいない感じ。単純に四つの種族が同じ街に暮らしているだけ、という印象。
“違うエレメントと関わらない”という設定はあるものの、そのルールを破ると世界が崩壊するというような根幹に関わる設定があるわけではなく、そのためエンバーの試練というものはほとんどエンバーの家庭の事情に絡む家庭不和の葛藤のみ。
もっとも、それはエレメントシティの社会的な要因に基づくもので、そこが一番重要なテーマですが。
エンバーとウェイドの関係を現実世界で例えると、中東か南アジアの国を追われアメリカに家族で落ち延びて来た移民の女性が分断的な社会で苦労するなか、上流階級のおっとりとした白人男性と知り合った、という感じでしょうか。
移民への差別や格差・分断の問題がテーマである事は明瞭。マイノリティとしてのエンバーの葛藤はよく理解できるし、大いに考えさせられる、ここは涙無くしては見られないストーリー展開でしたが…。
でも、それだったらエレメントシティという舞台でなくとも、そのものズバリ現代アメリカを舞台に、移民女性が主人公でアニメ的な翻案をしたラブストーリーのほうがより感動的で良いんじゃないの?という気はします。
と、思ってしまうぐらい、エレメントシティという設定に強い必然性や緻密なロジックは…、私はあまり感じなかった。
でもストーリー自体は、心に“刺さる”お話でした。家庭の事情の為に自らの夢を諦める、個人の意思が犠牲になる、という事はこの世の中では多々ある事かも知れませんが、それを突破する心根とは何ぞや、と考えさせられました。
さらに、CGのグラフィックは今まで見たピクサー作品の中では一番美しかった。節目のシーンでの壮大さ、印象的な演出は凄い。ケムリや水、炎、の表現、さらに背景もリアルで美しい。
アニメで自然物、なかんずく火や水を違和感なくリアルに描くのはすんごい事じゃないか?と、CGアニメの持つポテンシャルに圧倒されました。
映像は素晴らしい、ストーリーも感動的。設定的なツメの甘さは感じるのですが…、でも、トータルではいい映画かなぁ?と、思いつつ、劇場を後にしたのでした。
あらすじ
ここは火・水・土・風4つのエレメントが暮らす街。
火の街で生まれ育ったエンバーは、家族のために、大好きな父の店を継ぐ夢に向かって頑張っていた。ある日偶然、エンバーは、涙もろくてやさしい自由な心をもつ水のウェイドと出会う。
自分と正反対の彼と一緒に初めて世界の広さに触れたエンバーは、ふと自分の新たな可能性を考え始める一
私の本当にやりたいことって…?だが、この街のルールは、“違うエレメントと関わらない”こと…。
公式ホームページより
そんな時、シティに“ある大事件”が!
エンバーとウェイドは、この試練を乗り越えられるのか!?
引用画像はYouTubeチャンネル 『ディズニー・スタジオ公式』内『「マイ・エレメント」日本版本予告|日本版エンドソング「やさしい気持ちで(マイ・エレメントver.)」performed by Superfly|8月4日(金)劇場公開』 『「マイ・エレメント」本編映像|「エンバーの葛藤」編|大ヒット上映中!』より