注意:若干ネタバレあります
藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿 に収録されている「じじぬき」の感想。
7「じじぬき」の感想
実の息子、義理の娘、時代、あらゆる物との確執に生きる頑固者ガンさんが、死後に見せる真実とは。
藤子F短編作品には、高齢化社会や老い・滅びを主題とした作品も多いですが、これは初めてそのテーマが登場したプレリュード的作品ではないでしょうか。
さらに、F作品には「もし、こちらの選択をしていたらその後の人生は…」というIF的展開の作品も多いですが、これもその元祖的作品。
掲載されたのは昭和45年、1970年12月25日号ビッグコミックより。
「じじぬき」あらすじ
主人公は、長男一家と同居、妻には先立たれ男やもめのガンさん。舅との別居を望み、何かとガンさんをハブろうとする長男の嫁とは何かとイザコザが絶えない。
遂にはガンさんが友人のユウさんと釣りに行っている合間、孫の孝夫が勝手にガンさんの部屋を使っていたため大モメ。
関係の悪化がピークになったところでガンさんは寿命を迎え天に召される。
本来、ガンさんの寿命はもっと長かったのですが、奥さんの配慮により前倒しであの世にやって来たのでした。
とはいえ天国で奥さんとの再会を果たし、久方ぶりの夫婦水入らずのガンさん。のんびり眺めるのは自らの通夜の様子。
皆、ガンさんとの(美化された)想い出にひたるうちにだんだんと感情がバクハツする。
その様子を見ていたガンさんも心動く。
今ならやり直せる。寿命が残っているのなら現世に戻して欲しいと天国の戸籍係に頼むのでした。
ガンさんは生き返り、家族との日常がよみがえったのですが、しかし、ところが…、
というお話。
世代間の断絶、戦争と平和、な感想
この後の展開は、「あ〜…、そういうもんだよね」と言いたくなるような、あるある的ラストにつながって行くのですが、それ以上に私が作中の描写で最も印象に残ったのは、嫁・舅の問題。
昭和の50年代くらいまでの一般的な家庭では三世代同居が当然だったなぁ…と思い出しました。
そこで頻発していたのは嫁と姑・舅の不和の問題。お昼のワイドショーでしょっちゅう放送されていたのは「姑の嫁イビリ」とか、姑をいじめる「鬼嫁」の話題ばっかりだったのも思い出しました。
この作品ではまさに、昭和40年代の世代間ギャップの実像というものが余す所なく描かれているのではないでしょうか。
思い出話のシーンから推測するに、おそらくガンさんが生まれたのは日清・日露戦争の頃かその前あたり、明治の時代に大学に進学してサラリーマンになっているのですからかなりのエリート。
息子のうち長男は太平洋戦争に出征している描写があるので大正頃の生まれ。次郎は昭和一ケタの生まれでしょうか。孫達は、戦後すぐのベビーブームよりも少し後、昭和30年頃の生まれだろうと思います。
作中のガンさんはおそらく70歳台か80歳ぐらい。
ガンさんは「脱亜入欧」とか「坂の上の雲」とか、世界の中で近代国家の歩みを始めた明治日本を現役で過ごした世代。対して息子たちは戦後、「国破れて山河あり」の状態から国際社会に復帰して行くという、明治時代とは違うアプローチを世界に対して行なわなければならなかった昭和日本を現役として生きている世代。
この世代間の断絶は、一般的なジェネレーションギャップという言葉のイメージとはかなり違うものという気もします。
それを強く感じたのは、先日お花見のついでに立ち寄った千鳥ヶ淵戦没者墓苑。
ここに設置されている昭和天皇と上皇陛下の御製の碑。
この二つの和歌の視点の差異は、そのまま戦前と戦後の違いそのものなのだろう…と感じました。
昭和天皇の御製の碑
くにのため
いのちささげし
ひとびとの
ことをおもえば
むねせまりくる
上皇陛下の御製の碑
いくさなきよを
あゆみきて
おもひいづ
かのかたきひを
いきしひとびと
昭和天皇の御歌は「国家」という視点を強く感じますし、上皇陛下の御歌には戦争の時代を生きた人々を通じての「心」や「情」への視点を感じる。
同じく先の大戦を題材とした和歌ながらこの違い。
一方は天皇が主権や統治権の総覧者だった時代。
一方は天皇が国民国家統合の象徴である時代。
この両者の違い、体制や史観が根底から変わってしまった歴史をハッキリ形で見たような気がします。これは簡単に割りきれる問題でもないのかなぁ…という気もします。
〝違い〟という事でもうひとつ、象徴的と思ったシーンはガンさんが奥さんを殴るシーン。
家父長的な発想からの暴力である事は間違いなく、昨今よく言われるジェンダーギャップとかDVとか、そういう観点で見れば許されない行為なのでしょうが…しかし、ガンさんが息子家族にも見せることが無かった素直な気持ちが表れ、ガンさんと奥さんはわかり合い愛し合っている事が表現されているシーンでもある。
ガンさんの息子たちの、通夜で流したどこか空々しい涙と比べると…。
ガンさんの名前は「穴黒 厳」という設定。
そこから考えるに、この作品のテーマはアナクロニズム(時代錯誤)という事なのだろうと思います。
ストーリー的にガンさんが生き返ってから先は、このアナクロな断絶というものは一切解消される事なく終わるのですが、その展開も併せてこの彼我の違い、これは断絶なのか何なのか、結局のところ戦前と戦後の日本とは何なのかという事がいまだに曖昧なままに今の社会は推移しているのではないかなどと…、色々考えさせられました。
引用画像はすべて「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>」より
「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿」について
藤子・F・不二雄のSF短編112話を全8巻に完全収録した“PERFECT版”が登場! 鋭い風刺精神を存分に発揮した「藤子美学の世界」にどっぷり浸かれる作品集!
Amazon.co.jp商品説明より
藤子・F・不二雄氏による短編の総集編。第一巻は1968年の「少女コミック」9月号に掲載された『スーパーさん』から1973年「ビッグコミック」4月10日号に掲載された『イヤなイヤなイヤな奴』までを年代順に収録。
巻末には藤子・F・不二雄氏の長女である藤本匡美さんによるエッセイ「こっそり愛読した父の作品」が掲載されています。
タイトル | 雑誌名 | 年月号 |
---|---|---|
スーパーさん | 少女コミック | 1968年9月号 |
ミノタウロスの皿 | ビッグコミック | 1969年10月10日号 |
ぼくの口ボット | 子供の光 | 1970年1月号 |
カイケツ小池さん | ビッグコミック | 1970年4月25日号 |
ボノム=底ぬけさん= | ビッグコミック | 1970年10月10日号 |
ドジ田ドジ郎の幸運 | SFマガジン | 1970年11月 増刊号 |
じじぬき | ビッグコミック | 1970年12月25日号 |
ヒョンヒョロ | SFマガジン | 1971年10月 増刊号 |
自分会議 | SFマガジン | 1972年2月号 |
わが子・スーパーマン | ビッグコミック | 1972年3月10日号 |
気楽に殺ろうよ | ビッグコミック | 1972年5月10日号 |
アチタが見える | ビッグコミック | 1972年8月25日号 |
換身 | SFマガジン | 1972年9月 増刊号 |
劇画・オバQ | ビッグコミック | 1973年2月25日号 |
イヤなイヤなイヤな奴 | ビッグコミック | 1973年4月10日号 |