注意:若干ネタバレあります
藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿 に収録されている「ヒョンヒョロ」の感想。
8「ヒョンヒョロ」の感想
マーちゃんが見つけた宇宙の真理を大人たちは信じる事が出来るのか…。
SFマガジン1971年10月増刊号掲載作品。SFマガジン掲載作品としては「ドジ太ドジ朗の幸運」に続いて二作目。「ドジ太〜」は科学の用語がふんだんに登場してハードSFにも近いような本格SFでしたが、この「ヒョンヒョロ」は価値観の転倒・ラストのどんでん返しといった正統派SF要素がありつつも、「異分子キャラが日常にやって来る」というF作品独自のナンセンスさがストーリーに加わり、フィクションとしての完成度はさらにアップしているのではないでしょうか。
「ヒョンヒョロ」あらすじ
マーちゃんは空想大好きな男の子。
ミドリ色の狼を見たり、空飛ぶ大男を見たり。
今度は円盤に乗ったうさぎちゃんに手紙を託されたとママに嬉しそうに伝えるのでした。
それは「きょうはく状」。
警察が出動しての大騒ぎに。
しかし、犯罪の常識からあまりにも外れた事案で、いたずらとしか判断されない。
でも、うさぎちゃんは現実にいる!
それを見ても誰も本気にしない。
うさぎちゃんは地球人の生態に興味深々。率直な感想を大いに述べるのでありました。
ふたたび警察が出動しての大騒動に。
刑事さんが発狂寸前に追い詰められた末にやっと要求が認められる。
うさぎちゃんの要求はヒョンヒョロの返還。
受け入れられないならば誘拐を実行する。
「トナリノ世界」に飛ばされるが、ヒョンヒョロを返してもらえれば元の世界に戻すと言う。
こんなウサギに長居はしてほしくは無い。
さっさと厄介払いするためにも、うさぎちゃんの要求は全て受け入れる事にしたのでした。
しかし、ヒョンヒョロなどというものが何なのかはさっぱりわからない。
わからない故に、地球の常識での貴重品を渡すしかない。
しかし———
そもそも地球人は「ヒョンヒョロ」の意味すら理解していなかった事を知り、うさぎちゃんは激高。
ついに誘拐は実行に移されるのでした。
さて、うさぎちゃんは一体誰を脅迫していたのか、ヒョンヒョロの正体は何だったのか…というお話。
「F作品」=「セカイ系」
文豪・夏目漱石は、どこへ行ってもこの世は最悪だと悟った時、詩が生まれて、画(え)が出来る、「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写す」芸術(文学)が生まれると言いましたが、SFはその作業を全て思考や思弁の上でシミュレーション的に行うのが私は面白いと思います。
この「ヒョンヒョロ」は、SF的なガジェットは一切出ない。科学的な要素はうさぎちゃんの設定のみ。あとは思弁的に登場人物たちの心の小さな揺らぎや価値観の転倒が、やがては宇宙をも巻き込む大事件に展開して行く様が描かれる。
日常の出来事が宇宙大のスケールに進展していくというストーリーは、これはまさに新海誠監督作品「君の名は」などで隆盛を極めたセカイ系SFそのもの。
考えてもみればドラえもんの大長編等、F作品はそういう傾向の作品が多い。この時代からF作品はそういう方向性を持ち、日本のアニメにも影響を与えていたのかも知れないと考えると興味深いものがあります。
ラストの『ああ、なるほど』と言いたくなるどんでん返しも、SFショートの醍醐味。
それに加えて、違う世界からやって来たうさぎちゃんは、『ドラえもん』や『オバケのQ太郎』『怪物くん』の亜種のようなもの。存在そのものが人類文明の全否定のようになっているのは他のキャラに比べて過激ではありますが…、藤子作品らしさも備わっている。
SFらしさもあり、藤子作品らしさもある。このバランスの良さ、そういう意味での完成度の高さはこの巻中では一番の作品ではないでしょうか。
テーマについて、「この世界の片隅に」での体験
テーマは、常識・非常識、価値観のあやふやさ、先入観にとらわれる愚かしさ、かと思われますが…、「先入観」といった事に関して私が強烈に印象に残っている経験は、漫画『この世界の片隅に』に関するあれこれ。
この世界の片隅に 上
こうの史代 著 双葉社アクションコミックス刊
発売日:2008.01.12
定価:713円 (本体648円)
判型:A5判
ISBN:9784575941463
平成の名作・ロングセラー「夕凪の街 桜の国」の第2弾ともいうべき本作。戦中の広島県の軍都、呉を舞台にした家族ドラマ。主人公、すずは広島市から呉へ嫁ぎ、新しい家族、新しい街、新しい世界に戸惑う。しかし、一日一日を確かに健気に生きていく…。
双葉社ホームページより
2016年にアニメ映画化され社会現象的な大ヒットを記録した漫画作品。
一般的なイメージは、戦争・広島原爆を題材としたヒューマンドラマ、原爆の惨禍と平和の尊さを緻密な生活描写で描いた名作、という…印象を持っている方も多いのではないでしょうか。
少なくとも私はあの「夕凪の街 桜の国」で、原爆の惨禍やその後の被爆者への差別、という難しい題材に挑んだこうの史代さんが、今度は第二次世界大戦当時を舞台として、真正面から「ヒロシマ」を描こうとしている「原爆もの」作品…、と、単純にそういうイメージを持って読んでいましたし、映画も見ていました。
そう、読んでもいたし、見てもいたにもかかわらず…。
後に、映画版の監督片渕須直さんとこうの史代さんの対談集を読んで衝撃の事実を私は知ったのでした。
——いま片浏監督と一緒にお仕事をされるようになって、監督はどんな人だと思っていますか?
文藝春秋刊『「この世界の片隅に」こうの史代 片渕須直 対談集 さらにいくつもの映画のこと』より *以下同
こうの 「アリーテ姫」を観たときに「この監督に任せれば大丈夫だ」と思ったんですよ。「この人だったら〝呉空襲の話〟として、ちゃんとつくってくれる」と。私は自分の作品を〝原爆もの〟と捉えられるのが、すごく不本意だったんですね。
えっ。
「呉空襲」?
——「夕凪の街桜の国」はともかく、「この世界の片隅に」は広島原爆が話の主題ではありませんよね。
こうの そうなんですけど、〝原爆もの〟という扱いを受けることが多いんですよ。私は広島生まれ広島育ちで、「夕凪の街 桜の国」を描いた〝原爆作家〟。だからその人が呉空襲について語ろうとするなら必ずその後の原爆が主役になるに違いない、と捉えられてしまう。「呉市民はずっとこういう思いをしてきたのか」と、そのときに気づいたんですね。(中略)だから自分の漫画は〝原爆もの〟と思われないようにしたい。そう思ってました。
ええーーー!!
(中略)そういうところから「この監督に任せれば大丈夫だ」と思えたんですね。実際、「この世界の片隅に」は〝原爆もの〟ではなく〝呉空襲の話〟としてつくってもらえました。それはありがたかったんですけど、こうして人気が出ると、メディアでは〝原爆もの〟として扱われはじめたりして、そこはちょっと不思議ですね。
げ、原爆ものと捉えられるのが不本意、不思議。
「この世界の片隅に」は〝広島原爆もの〟ではなく〝呉空襲の話〟…。
良く考えてもみれば、主人公のすずが手を失う大けがを負い、家族をも失う作中最大のクライマックスは呉空襲の場面。
さらに、広島原爆の話として捉えるといまいちテーマが分かりづらくなると感じる事もあったのはそういうことかと…、自分の不明に恥じたのでありました。
それ以来、変に先入観を持って物事を捉えるのはやめようと思ってはいるのですが、しかし…。
こういった自身の経験や、「ヒョンヒョロ」でのマーちゃんの両親・刑事さんたちを見ていると、先入観というのは「こうあるべきだ」という上から目線や、ただの慣習を正しいと思い込む浅薄さ、そこから来たる「自分は正義だ!」という根拠のない思い込み…、言わば人間の〝業〟そのもの。それゆえに、これを完全克服するのは容易では無いという気もしてきました。
結局、F作品のメッセージから考えると、大事なのは「常識を疑え」という事でしょうか。
ただ、これが行き過ぎてしまうと陰謀論者になってしまう、などと弊害も出て来そう。持つべきは健全な猜疑心、相手の立場になって考える想像力、柔軟性…。
なんともこの世の中を渡るのは大変ですねぇ。。。
「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。」、「詩」と「画」の複合芸術である漫画『ヒョンヒョロ』もまたそういう作品でしょうか。
引用画像はすべて「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>」より
「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿」について
藤子・F・不二雄のSF短編112話を全8巻に完全収録した“PERFECT版”が登場! 鋭い風刺精神を存分に発揮した「藤子美学の世界」にどっぷり浸かれる作品集!
Amazon.co.jp商品説明より
藤子・F・不二雄氏による短編の総集編。第一巻は1968年の「少女コミック」9月号に掲載された『スーパーさん』から1973年「ビッグコミック」4月10日号に掲載された『イヤなイヤなイヤな奴』までを年代順に収録。
巻末には藤子・F・不二雄氏の長女である藤本匡美さんによるエッセイ「こっそり愛読した父の作品」が掲載されています。
タイトル | 雑誌名 | 年月号 |
---|---|---|
スーパーさん | 少女コミック | 1968年9月号 |
ミノタウロスの皿 | ビッグコミック | 1969年10月10日号 |
ぼくの口ボット | 子供の光 | 1970年1月号 |
カイケツ小池さん | ビッグコミック | 1970年4月25日号 |
ボノム=底ぬけさん= | ビッグコミック | 1970年10月10日号 |
ドジ田ドジ郎の幸運 | SFマガジン | 1970年11月 増刊号 |
じじぬき | ビッグコミック | 1970年12月25日号 |
ヒョンヒョロ | SFマガジン | 1971年10月 増刊号 |
自分会議 | SFマガジン | 1972年2月号 |
わが子・スーパーマン | ビッグコミック | 1972年3月10日号 |
気楽に殺ろうよ | ビッグコミック | 1972年5月10日号 |
アチタが見える | ビッグコミック | 1972年8月25日号 |
換身 | SFマガジン | 1972年9月 増刊号 |
劇画・オバQ | ビッグコミック | 1973年2月25日号 |
イヤなイヤなイヤな奴 | ビッグコミック | 1973年4月10日号 |