注意:若干ネタバレあります
藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿 に収録されている「気楽に殺ろうよ」の感想。
11「気楽に殺ろうよ」の感想
かなりストレートに「藤子・F・不二雄作品らしさ」というか、藤子F作品特有のモチーフが前面に出ていてある意味、初期藤子SF作品のひとつの到達点といって良い作品なのではなかろうか、と思いました。
ここまで、実験的であったりSFファン向けの指向であったりする作品が多かったのに対し、これ以後は漫画らしい設定とかアクションなど、より娯楽の奥行きが深くなる作品が主流になっていく印象があります。
「気楽に殺ろうよ」あらすじ
カウンセリングを受けている主人公の回想から物語は始まる。
既婚、娘がひとり、職業サラリーマン、という中年男性の河口さん。
ありきたりの日常が始まろうとしていた月曜の朝、なんだかいつもと様子が違う。
常識がまったく通用しない。
『食欲』を訴えるとまるでエッチなことをしようとしているような反応が返ってくる。
『月曜』が休日になっている。
生命に対する倫理観が無いも同然。他人の生命を奪う権利まで認められていて、権利書を発行して制度化されているという有り様。
世の中の倫理観が昨日までの世界と全く違う。
主人公はもはやそれに耐えられなくなり、奥さんに病院に連れて来られたのでした。
医者は「自分たちは火星人だと思うことにしよう」という。
河口さんの訴える疑問点に対し、反論したくなる部分は山ほどあるものの、しかしながら簡単に論難出来ない、一応筋道立った「地球人の視点」を医者は理路整然と説明していく。
『性』も『食』もどちらも人間の生存の為には欠かせない本能。しかし、人類の繁栄という視点で見て、この二つのどちらが公益に資するのかといえばそれは『性』の方だという。『性』は人類全体の繁栄に繋がるが、『食』は個人的な欲望、独善的な行為にとどまる。だから羞恥心を持つべきは『食欲』の方である──。
人の命が非常に軽く扱われ、対人トラブル解決の為に人をあやめる事すら制度化されているのは、社会が豊かになり出生率は上がり、医療の発達のため死亡率は下がる人口爆発が懸念される中(昭和の話)、合法的、スムーズに人口を間引く事は公共の福祉に適う事である──。
それが、はるか昔から変わらぬこの世界の常識である。と、医者は言う。
理屈は通っているとしても、当然ながら受け入れる事は出来ない主人公なのですが、ここで医者がズバリ本質を問う。
わかりきった常識だと主人公は反発するものの、医者が納得出来る説明を主人公は出来るのか否か。
おそらくは出来なかったのでしょう。主人公はこの世界の常識を受け入れる事を決める。
さて、常識を受け入れ、この世界の仕組みや制度に従って生きる事を決めた主人公に待っている運命やいかに──、というお話。
人はナゼ他人を殺めてはいけないのか
基本的に医者と主人公のダイアローグで物語が進行し、思考の中で段々と本質があぶり出されていく構成はいかにもSF的。
自分たちは火星人という視点は『ミノタウロスの皿』のようなディストピアもの、古典SF的で藤子F作品特有のモチーフを表しているようにも思えますし、それが生命の倫理観にまで深堀りされているのも興味深い。
「人はなぜ人の生命を奪ってはならないのか」
それは法律で犯罪と規定されているから。
「法律の規定が無ければ生命を尊重しなくても構わない?」
人間の生命・財産・自由は生まれながらに持つ不可侵の権利として近代以前より認められている。生命は究極の価値・権利であり最大限に尊重されなくてはならない。
「それは『認める事が出来る』という仮定のモデルにすぎず、生命の本質を客観的に証明しているとは言えない。何を持って、生命は究極の価値であると証明するのか。何故生命は尊重されなくてはならないのか。」
…と、徹底して突き詰めて論理的に説明しようと、真理に迫ろうなどと考えると、結局最初の問いに戻る堂々巡りに陥る。
ドイツの哲学者カントは世界の根本理念に「神」「自由」「魂の不死」の三つの理念を挙げ、これらの理念は客観的な存在を証明することは出来ないと述べている。
この三つの理念をひっくるめて『生命』と言い換えることも出来るかもしれませんが、つまり生命の客観的な存在を論理的に証明することは出来ない。さらに科学的にも生命の定義は定まっていないのですから、この問いに正確な答えを示すことは現在の人類では不可能であると言えるかもしれません。
結局は推測するしかない。
誰しも幸せになりたいと願う、誰しも自分の命が失われるかもしれない局面に遭遇すれば恐怖する、昆虫であっても動物であっても命の危険にさらされれば、本能的に危機を回避する行動をとる。
という事は、生命には守られるべき理由がある、それは絶対的な価値・真理があるから、と推測できる。そう判断するしかない。
とはいえ、人類の文明はそういう推測を応用して発展してきた。『葬送のフリーレン』に出てくる大魔族のソリテールさんは黄金郷のマハトにこう述べる。
観測、そして推論・応用によって文明は発展してきた。人間の内面の世界もまた同様なのでしょうか。
観察、応用で世界の認識や仕組みが成り立っているのなら、人間の存在はあやふやで、絶対と思っていたものが翌日にはどうなっているか分からない。この世界の恐ろしさに対し、「だったらもう無責任(気楽)でちょうど良いんじゃない?」とも言いたくなるような世界観を、この作品は根本理念の面から浮き彫りにしている。
藤子F作品のユニークさの種明かしがされているような、興味深い作品だと思います。
引用画像はすべて「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>」より
「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)ミノタウロスの皿」について
藤子・F・不二雄のSF短編112話を全8巻に完全収録した“PERFECT版”が登場! 鋭い風刺精神を存分に発揮した「藤子美学の世界」にどっぷり浸かれる作品集!
Amazon.co.jp商品説明より
藤子・F・不二雄氏による短編の総集編。第一巻は1968年の「少女コミック」9月号に掲載された『スーパーさん』から1973年「ビッグコミック」4月10日号に掲載された『イヤなイヤなイヤな奴』までを年代順に収録。
巻末には藤子・F・不二雄氏の長女である藤本匡美さんによるエッセイ「こっそり愛読した父の作品」が掲載されています。
タイトル | 雑誌名 | 年月号 |
---|---|---|
スーパーさん | 少女コミック | 1968年9月号 |
ミノタウロスの皿 | ビッグコミック | 1969年10月10日号 |
ぼくの口ボット | 子供の光 | 1970年1月号 |
カイケツ小池さん | ビッグコミック | 1970年4月25日号 |
ボノム=底ぬけさん= | ビッグコミック | 1970年10月10日号 |
ドジ田ドジ郎の幸運 | SFマガジン | 1970年11月 増刊号 |
じじぬき | ビッグコミック | 1970年12月25日号 |
ヒョンヒョロ | SFマガジン | 1971年10月 増刊号 |
自分会議 | SFマガジン | 1972年2月号 |
わが子・スーパーマン | ビッグコミック | 1972年3月10日号 |
気楽に殺ろうよ | ビッグコミック | 1972年5月10日号 |
アチタが見える | ビッグコミック | 1972年8月25日号 |
換身 | SFマガジン | 1972年9月 増刊号 |
劇画・オバQ | ビッグコミック | 1973年2月25日号 |
イヤなイヤなイヤな奴 | ビッグコミック | 1973年4月10日号 |
藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1) | |
---|---|
筆者 | 藤子・F・不二雄 |
発売日 | 2000年07月25日 |
発行所 | 株式会社 小学館 |
総ページ数 | 362ページ |
判型 | A5判 148✕210 |
ISBN-10 | 4091762018 |
ISBN-13 | 978-4091762016 |
定価 | 本体 1,980円(税込) |