映画『君たちはどう生きるか』の感想
都内某所、公開日に鑑賞しました。予告編などの情報は何もないし、どんなお話なのかと興味津々で観ました。
太平洋戦争の渦中、空襲で母親の久子を亡くした眞人少年。お父さんの再婚相手である夏子さんの実家(夏子は死んだ久子の妹)に疎開する。夏子さんの実家の敷地には、かつての当主である大叔父が建て、その後その塔内で行方不明になったといういわくつきの不思議な塔がある。(この塔の由来が、この物語の重要なキーになるのですが…)眞人くんはこの塔から「下の世界」とされる異世界へと迷い込み、世界の成り立ち、命の成り立ちを知る不思議な冒険へと旅立つ、という…やや幻想文学的なお話でした。
要は眞人くんが夏子さんを受け入れられるのかどうなのか、その過程で知るこの世界の根源的な姿…、そこが重要なポイントなのかと思いますが、しかし、メッセージ性は非常に強く、娯楽性にはやや乏しいのかも。
描写はかなり説明不足の感もあり眞人くんの心情の変化や成長という面も分かりづらい。作画はほんの少し、微妙に甘く見える部分もありましたし、展開や舞台の世界観は「ハウルの動く城」以上にシュールな感じ。宮崎駿的世界観というのか、永劫回帰的生命観とでもいうのか、それらをテーマにした「鏡の国のアリス」のようでもありました。
もしくは、「風の谷のナウシカ」漫画版の終盤で、地球や宇宙という大自然の中での人類の在りようについて、不思議空間であるシュワの庭(正式名称良く知りません)の主とナウシカとの間で壮絶な問答が延々と繰り広げられましたが、あの描写や雰囲気を想起させられるものがありました。
かつてのトトロやラピュタといった作品の娯楽としての華々しさや、わかりやすさ、キャッチーさに比べれば、その取っ付き辛さというものは凄まじいレベルではないかと思いますが、しかし、子供向け作品でありながら、観客の簡単な共感を拒むような作品をあの宮崎駿監督が作ったという事が非常に、非常に強く印象に残りました。
ナウシカは、腐海という汚濁とともに生きる人間の生命を「闇の中のまたたく光」と言いましたが、均衡を保つことが幸福や平和を導くのではない。戦争という「悪意」の闇の中でも自分の瞬く光ともなる「ともだち」を見失わずにいてほしい、そんな宮崎駿監督の未来を担う子ども達への気持ちというものは痛いほど伝わってきました。
人間は、人間同志、地球を包んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。だから、これほど人類が進歩しながら、人間同志の争いが、いまだに絶えないんだ。
だが、コペル君、人間は、いうまでもなく、人間らしくなくっちゃあいけない。人間が人間らしくない関係の中にいるなんて、残念なことなんだ。たとえ「赤の他人」の間にだって、ちゃんと人間らしい関係を打ちたててゆくのが本当だ。
では、本当に人間らしい関係とは、どういう関係だろう。
吉野源三郎著 『君たちはどう生きるか』より
――君のお母さんは、君のために何かしても、その報酬を欲しがりはしないね。君のためにつくしているということが、そのままお母さんの喜びだ。君にしても、仲のいい友だちに何かしてあげられれば、それだけで、もう十分うれしいじゃないか。人間が人間同志、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない。そして、それが本当に人間らしい人間関係だと、――コペル君、君はそう思わないかしら。
――かように、内容は濃いしキャストはオールスターキャストですし、過去のジブリ作品のオマージュ…は、無いかな?
やはり一度見ただけでは、この世界観は把握しきれそうにない。もう一度見に行こうかなとも思います。